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東京高等裁判所 昭和46年(ネ)1113号 判決

控訴人 商工組合中央金庫

右訴訟代理人支配人 佐藤力夫

右訴訟代理人弁護士 鈴木清二

同 藤井富弘

被控訴人 森田徳太郎

右訴訟代理人弁護士 貝塚次郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠の関係は、左記のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴代理人の主張)

一、(一)森田悦子は、昭和四二年二月六日、被控訴人の代理人という立場で、控訴人に対し、控訴人と全日本ゼオライト工業協同組合(以下、全日本ゼオライトという)との間の右同日付手形貸付等の継続的取引契約から生ずる全日本ゼオライトの債務を担保するため、被控訴人所有の本件建物(原判決添付物件目録記載の建物、以下同じ)に元本極度額一、〇〇〇万円の根抵当権を設定することを約したものであるところ、被控訴人は、本件建物の処分権限を被控訴人の長男である森田一郎および被控訴人の妻である右悦子に委ねていたものであり、若しくは一郎が被控訴人から委ねられた本件建物の処分権限を更に有効に悦子に委ねていたものであるから、悦子が本件建物につき処分権限(代理権)を有したことは明らかであり、したがって悦子のなした本件根抵当権設定契約は被控訴人につき有効に効力を生じたものである。

(二)悦子が本件建物につき処分権限(代理権)を有したことは、左のような諸事実を総合すれば自ら明らかというべきである。

(1)被控訴人が十数年前から事実上隠居し、家業たる家具製造販売業の経営とともに本件建物の処分権限をも一郎に委ねていたこと。

(2)被控訴人および一郎は、悦子が本件根抵当権設定契約をなしたことに関して、同女に対する責任追及の措置(たとえば離婚、告訴など)を何ら行っておらず、却って、悦子は一郎と相談のうえ自ら被控訴人名義で本件訴訟の提起を弁護士に委任し、かくして本訴が提起されたこと。

(3)悦子がかねて一郎名義で預金取引をしていたこと。悦子が有限会社森田商店(森田家の個人会社である)および一郎のそれぞれ氏名と印とを使用し同人らを代理して数回にわたり城北信用組合および控訴人から融資を受け、一郎の所有不動産を担保に供したこと。本件根抵当権設定契約に関連して後日控訴人に差入れられた書類たる本件建物に関する火災保険金請求権の質権設定承認請求書および承認書(乙第二号証の二)中の被控訴人名下の印影は、悦子が家族の承認のもとにこれを押捺したものであり、悦子が被控訴人の実印を自由に使用することを家族は承認していたこと。以上の諸事実によれば、悦子は被控訴人を含む森田家およびその経営する有限会社森田商店の氏名と印とを自由に使用することを認められていたこと、即ち悦子が本件建物を含む森田家の全財産につき処分権限を有したものというべきこと。

(4)悦子が有限会社森田商店の役員(監査役)であり、本件建物の敷地の所有者との借地権の交渉にその最終段階で関与し、また借地権の売買の話にも立会っていること。

二、表見代理の主張

仮りに右主張が理由がないとしても、悦子は被控訴人の妻であるから民法第七六一条により日常家事に関し被控訴人を代理する権限を有するところ、悦子は右権限を越えて本件根抵当権設定契約を締結したものであるが、控訴人は悦子に右契約を締結する権限があると信じたのであり、そのように信じたことについては正当の理由があるから、民法第一一〇条所定の表見代理の成立を肯定すべきである。けだし、前記一、(二)(3)(4)記載の各事情のほか、本件建物について本件根抵当権設定契約の締結の以前に株式会社大生相互銀行に対して、また以後に山口嘉美に対して、いずれも悦子が被控訴人の印を使用して各抵当権設定契約をなしていること等の事情のもとにおいては、控訴人が悦子に右権限があると信じたことに正当の理由があることは明らかである(なお、控訴人は、本訴において、悦子の日常家事に関する代理権を基本代理権とする表見代理のみを主張する。基本代理権として日常家事代理権以外の代理権の存在は主張しない。)。したがって、控訴人は本件根抵当権設定契約により被控訴人に対し有効に根抵当権を取得した。

(被控訴代理人の主張)

一、控訴人主張の一(一)の事実は否認する。森田悦子は全日本ゼオライトの代表理事古木利夫の求めにより、被控訴人に無断で被控訴人の実印および本件建物に関する権利証を持ち出しこれを古木に交付したものにすぎず、控訴人との間にその主張の根抵当権設定契約を締結したのは古木である。同一(二)の(1)ないし(4)の事実はこれを争う。

二、同二の表見代理の主張はこれを争う。控訴人はその主張の根抵当権設定契約をなすにあたり、被控訴人が真実右根抵当権設定の意思を有するか否かを被控訴人本人につき確かめることが容易であるのに何ら確認の方法をとらなかったが、本件におけるごとく、いやしくも金融機関が多額の融資をするにあたり、担保提供者となるとされた者に真実担保提供の意思があるか否かを確かめることが容易であるのにこれが確認の方法をとらず、全くの他人の債務のため生活の本拠たる建物につき極度額一、〇〇〇万円もの根抵当権を設定する意思が真実あるものとたやすく信じたときは、その信ずるにつき過失あるを免れない。

(当審におけるあらたな証拠)〈省略〉

理由

一、本件建物は被控訴人の所有に属するところ、本件建物について東京法務局新宿出張所昭和四二年二月七日受付第二八三八号をもって控訴人を権利者とする本件根抵当権設定登記がなされていることは当事者間に争がない。

二、各成立に争のない甲第一号証、乙第一号証の二、官署作成部分は成立に争がなく全日本ゼオライト工業協同組合代表理事古木利夫作成部分は原審証人古木利夫の証言により成立を認め得る乙第一号証の一、原審証人古木利夫、同森田悦子、同工藤竹則、当審証人古木スズの各証言および弁論の全趣旨を総合すれば、控訴人は昭和四二年二月六日全日本ゼオライト(代表理事古木利夫)(昭和四一年一二月頃成立)を債務者として、これとの間に控訴人主張の約定による金融取引契約を締結したこと、被控訴人の妻森田悦子は、昭和四一年六月頃から知合となった仲である古木利夫、同人妻古木スズから依頼されて大事にいたることはないものと軽信し、いわば好意から右同日、右金融取引契約に基づく全日本ゼオライトの控訴人に対する債務を担保するため、被控訴人の代理人という立場において控訴人に対し本件建物に元本極度額一、〇〇〇万円の根抵当権を設定することを承諾し、右設定を約する旨の控訴人宛の金融取引契約および根抵当権設定証書(乙第一号証の一)中の担保提供者欄に記載された被控訴人の名下に被控訴人の実印を押捺したこと、右根抵当権設定契約(以下本件根抵当権設定契約という。)を原因として前記根抵当権設定登記がなされたこと、なお控訴人は森田悦子の右代理権や本件根抵当権設定契約に関し被控訴人にたしかめる処置は全くとっていないことが認められ、原審証人森田悦子の証言中右認定に反する部分は前記採用の各証拠に比照して俄に信用することができず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

三、そこで、森田悦子が被控訴人を代理して本件根抵当権設定契約を締結する権限(本件代理権という。)を有したか否かについて判断する。

原審および当審における被控訴人本人尋問の各結果並びに弁論の全趣旨によれば、被控訴人は終戦後一〇年くらいの頃、家業(家具製造業)(その後、後記の有限会社森田商店となった。)を長男である森田一郎に委ねると共に本件建物(家具の倉庫として使用)の管理処分権限を同人に与え、以後は家具の仕上げ仕事をするなどしていわば隠居の生活を送っていたこと、もっとも、その頃から、妻悦子との間は、互に口もきかず、被控訴人は身の回りを自分で処理する冷たい状能に陥っていたことが認められる(右認定に反する原審証人森田一郎の証言は信用しがたい。)けれども、控訴人主張のような被控訴人が悦子に対し本件建物の処分権限を与えたとの事実、若しくは一郎がその有する前示処分権限を更に悦子に与えたとの事実は、いずれもこれを認めるに足る証拠はない。なお、前顕採用の各証言、同被控訴人本人尋問の各結果、各成立に争のない乙第四号証、同第五号証、同第六号証および第七号証の各一、二、原審および当審証人森田一郎、当審証人堀九二雄の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、被控訴人および一郎は悦子が本件根抵当権設定契約をなしたことを聞知した後、これに関して同女に対する控訴人主張のような制裁的措置を格別とってはおらず、また、本訴の提起は、被控訴人に知られないうちに事態を処理しようとはかった悦子が一郎と相談のうえ被控訴人に無断で自ら被控訴人名義で弁護士に委任し訴訟を提起したものであるが、後日そのことを知らされた被控訴人は訴訟行為の追認を行なって本訴を維持したこと、悦子がかねて一郎名義で預金取引をしていたこと、悦子が有限会社森田商店(昭和三四年成立、一郎が代表取締役、被控訴人が取締役、悦子が監査役)(以下森田商店という。)および一郎のそれぞれ氏名と印とを使用し一郎および右会社を代理して数回にわたり城北信用組合および控訴人から融資を受け、一郎の所有不動産を担保に供したこと、被控訴人も森田商店も全日本ゼオライトと取引その他の関係は全くなくまた被控訴人は古木利夫、古木スズとは面識もなく何らの関係もなかったこと、本件根抵当権設定契約に関連して後日控訴人に差入れられた書類たる本件建物に関する火災保険金請求権の質権設定承認請求書および承認書(乙第二号証の二)中の被控訴人名下の印影は、悦子が被控訴人の実印を一郎の妻に持って来させて被控訴人に無断でこれを押捺したものであること、本件建物の敷地の所有者との借地権に関する交渉に悦子が関与したことがあること、以上の各事実を認めることができるが(前顕証人森田悦子、同森田一郎の各証言中右認定に反する部分はいずれも俄に信用することができず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。)、右認定の各事実と前示一郎が本件建物につき管理処分権限を有した事実とを総合考察しても、悦子が被控訴人を代理して本件根抵当権設定契約を締結し得る権限、その他の本件建物の処分権限を被控訴人本人から若しくは一郎から与えられていたとの控訴人主張の事実はいまだこれを肯認するに十分でない。他に、本件全資料を検討するも悦子が本件代理権を有したことを認めるに足る証拠はない。

四、次に控訴人の表見代理の主張について判断する。

控訴人は、悦子は被控訴人の妻として民法第七六一条により日常家事に関し被控訴人を代理する権限を有していたものでありこの日常家事代理権の範囲を超えて本件根抵当権設定契約を締結したものであるところ、控訴人には悦子に右契約を締結する権限があると信ずるにつき正当の理由があったから、民法第一一〇条所定の表見代理の成立を肯定すべきである旨主張する。なるほど夫婦は、民法第七六一条の規定により、相互に日常の家事に関する法律行為につき他方を代理する権限を有するものと解されるが、夫婦の一方が右代理権の範囲を越えて第三者と法律行為をした場合においては、その代理権の存在を基礎として広く一般的に民法第一一〇条所定の表見代理の成立を肯定することは相当でなく、右第三者においてその行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由のあるときにかぎり、右第三者は民法第一一〇条の趣旨の類推適用により保護されるものと解すべきである(最高裁判所昭和四四年一二月一八日第一小法廷判決、民集二三巻一二号二四七六頁参照)。これを本件についてみると、前記二において認定したとおり、本件根抵当権設定契約は被控訴人の妻である悦子が知人古木利夫に依頼されて、古木が代表理事を勤める全日本ゼオライトの控訴人に対する継続的金融取引契約に基づく債務を担保するために締結したものであり、右各契約内容、被担保金額(元本極度額一〇〇〇万円)その他叙上認定説示の事実関係によれば、本件根抵当権設定契約の相手方である控訴人において、同契約の締結が被控訴人ら夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由があったと認めることはできない。他に右正当の理由を認めるに足る事実の立証はない。したがって、控訴人の表見代理の主張は、その余の点を判断するまでもなく失当であり採用できない。

五、控訴人は、被控訴人が悦子の前示無権代理行為を追認した旨主張するけれども、この事実を認めるに足る証拠はない。

以上の次第で、控訴人主張の抗弁はいずれも理由がなく、本件根抵当権設定登記は登記原因を欠く無効の登記といわなければならないから、控訴人に対し右登記の抹消登記手続を求める被控訴人の本訴請求は理由があり、正当として認容すべきである。

よって、被控訴人の本訴請求を認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから民事訴訟法第三八四条第一項によりこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 後藤静思 裁判官 日野原昌 桜井敏雄)

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